はじめに
ブログを始めた背景ですが、まず前置きとして、5年くらい前にいた会社がすごい濃い会社で、強烈すぎる影響を受けて認知が歪んでしまいました。この話はそれはそれで濃いので詳細は別の機会にとっておくとして、会社のマインドセットが「令和にこんな会社があるのか…」と感心するほど非常に歪んだ認知が含まれており、会社に適応するのが非常に難しいものでした。よく長くいたなと感心してしまいます。
ひとまず別の会社に転職したんですが、ここで認知の歪みが大いに悪影響を出し始めて、店舗でクレームが続き、最終的にストレスから事故を起こしてしまいました。その結果として、1年半にわたる療養生活を余儀なくされたのです。この期間は、精神的にも肉体的にも非常に辛いもので、社会との接点が失われているように感じました。そんな時期に、「自分を表現する方法が欲しい」と強く感じた中で、あるYouTube動画がきっかけでたまたま自作テクスチャを作り、自分の中で「なにか」に火がついたことがブログスタートのきっかけです(ここは後で詳しくお話します)。
困難なこと
さて、話を戻しまして私が体験した数々の困難を1つ挙げるとすると、認知の歪みも確かに大きいんですが最初に経験した会社で最下位が固定された環境がありました。簡単に言うと、「永遠の新入り」として扱われることなんですが、結論から言うと仕事で失敗していません、むしろ挑戦権すらない状況で成長のない仕事をずっとやってました。朝礼の類は参加する権限は得られず、なにの情報もないところで、まるで暗闇の中を霧中行軍する感覚でした。給与は私の身分では高い方でしたが流石に成長できないと思い、ひとまずプライベートを充実させます。
プライベートをうまくしても仕事は好転せず、さらに会社側から趣味のロードバイクを禁止される有り様でした。こうした状況ですので会社と家の往復に特化させるべく環境適応のために借金もそこそここさえながら適応させますが、結果として「永遠の新入り」であることは変わらず、自分が活躍できることは「わがまま」なんだと思うようになり、未来は変えられないという呪縛と借金を背負って退職するようなオチになってしまいました。
(守秘義務つよつよの会社なのであまり深く書けません><)
気づきの瞬間と認知の変化
昨年のある日、ふと自分のキャリアについて深く考える機会が訪れました。現在は職業訓練を受講しており、その中で自分の思考傾向や認知スタイル、そして価値観について改めて見直す時間を持つことができたのですが、そこで気づいたのは、これまで“扱いづらいタイプ”として捉えられていたものが、実は「今の時代の働き方」や「情報社会に求められる能力」と非常に高い親和性を持っているということでした。私の属性って過去のエピソードを踏まえると「犯罪者に近いよね」って言い聞かせながら過ごしましたが、別に犯罪者でもなんでもなかったのです。
構造的に物事を捉える力、根本から理解しようとする姿勢、直感と論理をつなぐ柔軟な発想力——これらは、現代においてますます必要とされているスキルであると実感しました。
環境的な壁と可能性のジレンマ
一方で、そうした特性を社会で発揮するには、まだまだ環境面での制約が多い現実にも直面しました。特に地方という地理的・文化的背景、求人情報の偏りや情報流通の限界、教育や支援の方向性とのギャップ、そして社会全体の価値観とのズレが、自分の能力を活かす場を狭めていました。能力があっても、それを発揮できる舞台がなければ、可能性は埋もれてしまう——このジレンマはとても大きなものでした。
情報社会と表現の難しさ
さらに、SNS文化や情報のスピードが加速する現代社会では、評価の基準そのものが大きく変わってきています。共感やトレンドが重視される中で、理論的・論理的な表現が時に“浮いてしまう”こともあり、無意識に発言を控えてしまうことが増えました。その結果、表現の自由が狭まり、「自分らしさとは何か」「どこなら自分の強みを活かせるのか」といった根本的な問いに、改めて向き合うようになったのです。
創作への目覚めと小さな成功体験
ここがブログを始めたきっかけのアンサーですが、ブログを始めるきっかけには、非常に些細なことなんです。あるクリエイターの動画との出会いもありました。その動画に刺激を受けて、自作のMOD(ゲーム内の拡張データ)を制作したところ、想像以上にうまく動作しました。MOD自体は些細なテクスチャなんですが、この成功体験が、眠っていた「創作意欲」と「チャレンジングななにか」を呼び起こし、今でも継続的な原動力になっています。「やってみたら意外とできた」と「自分が勝てるフィールドでプレイ」するという体験が、自分の可能性を信じる種となり、挑戦する勇気をくれました。
MODというと不正のイメージも多いと思いますが、私のMODは規約の範囲内で制作されたものですが、これは比較的レアなタイトルですので、禁止されてるタイトル(こっちのほうが圧倒的に多いです)では…しっかり規約を守ろうね!OJISANとのお約束だ!
ブログという“実験室”への着地
こうした背景を経て、自分の考えや観察、知識や経験を整理し表現する手段として、ブログに自然と辿り着きました。ブログは、単なる発信の場ではなく、“思考実験の空間”であり、“自己理解と社会接続のトレーニングルーム”でもあります。頭の中にある思考を可視化し、社会との対話を生むことで、自信と自己効力感を少しずつ取り戻していきたい。そうした思いで、自分の出せる要素を全て出しきれる環境、言ってしまえば限界域の領域での活動からフィードバックすることを選びました。そういえばこれ、自動車メーカーのモータースポーツ活動に近い考え方ですね。
ブログ運営の3つの柱
1. 自己効力感の回復と心理的リハビリ
過去には、理解のない環境や人間関係の中で「期待されない」「評価されない」といった経験を重ね、自分の価値を信じる力を失った時期がありました。ブログは、その混沌とした感情を言語化し、内省する場として機能しています。言葉にすることで過去を“経験”として昇華し、自分を受け入れ直す手段となっています。
2. 意義欲求と自己実現
培ってきた知識や観察・洞察を通じて、誰かが新しい視点を得ることができたなら、それだけで意味があります。大きな評価や拡散がなくても、「誰かにとって必要な存在でいられる」という感覚が、自分の支えになります。それは、自己実現のプロセスであり、自己肯定感を取り戻す第一歩です。
3. ポータブルスキルの習得とキャリア形成
ブログを通じて自然と身につく申し訳程度のスキル——Web制作の基礎、読者を意識した文章構成、情報の収集と要約、自己ブランディング——は、どの業界でも少しは応用可能な“ポータブルスキル”です。これらはキャリアの選択肢を広げ、自立性を高める「小さな武器」になると考えています。
再構築とつながりの未来へ
ブログは単なる日記でも情報共有の手段でもなく、“再構築”と“再接続”のための実験室であり、走りながら回復し成長する“動的なリハビリ空間”です。これからも、自分なりの実験室として探究を続けながら、「自分らしさ」や「可能性」の輪郭を少しずつ描いていきたいと考えています。