1.はじめに
私たちは時に、ASD/ADHDといった発達特性を持つ人々が「なんでも自分で完結しようとする」傾向を目にすることがあります。
「自分のことは自分でする」、傍から見ると立派な自立型の思考です。さて、なにか違和感があります。「自立」ってちょっとだけ違う意味のはずです。現代では企業間コラボも一般的になってる時代です。それに自立は「自分でアクションを決める」とか「持ちつ持たれつ」という内容の意味のはずです。この一見すると自立心の表れのような内容、その背景を調べていくと、必ずしも前向きな理由だけではないことが見えてきます。
結論から話しましょう。これはオープンな反応や交わる技術を得る機会を失った結果、一緒に「成長の逆回転」を経験しているのかもしれません。
2.成育過程に潜む「特性の否定」
そうですね、学童期ころからでしょうか?通常、5歳や6歳、小さな時期から障害の「見える化」が発現していきます。まずあるあるなのが、「普通になれ」「みんなに合わせろ」といったささやかながらも続く圧力の結晶。特性の隠蔽化のプロセスがここで始まります。
それは、初期の失敗から「成功したい」より「失敗したくない」思想を高める成長が始まります。
失敗や困難に直面するリスクを避けるため、最も安全な選択として、自分だけで全てを終わらせる方式を具体化していったのでしょう。
3.自給自足思考の定着
トラブルを避けるため、「単純に自分だけで終わらせる」選択を繰り返していく。
障害だから「やりにくい」が多い。その背景から「自分のことは自分でやる」を強化させます。「自分ばっかり」とか「自分が変われ」などがその代表格ですね。随分構造的暴力が見えてきます。構造的暴力は別の機会に掘り下げるとして、こうして他者を動かすためのノウハウや、協力を構築する技術を積み上げる機会を失います。それは世の中に存在する「信頼も不信も混じる社会のネットワーク」の中でも特に身体的・精神的な困難を増やす結果を広げたのでしょう。
4.負の成長とは何か
今日日一般的に露出の多い企業はコラボレーションを盛んに行う業界もあります。相乗効果・シナジーってやつですね。さて、本来の成長としてのシナジー的要素とは、他者との連携を通じて、一人では成し遂げられない規模や成果を生み出す力です。
それに対し、負の成長とは、自己完結思考を加速させ、必要以上の限界を自ら設け、成長機会を減少させるプロセスです。
それはまるで、成長を逆回転させるような、非合理的なメカニズムです。
5.おわりに
残念ながら障害は治せません。でも緩和はできるし活かすこともできる。しかしながら私がこうして見てきた当事者の多くはシナジーを諦めている人が多い。これは「負の教育」の賜物なのです。親御さんも教育者も多くは悪意はないと思いますので多分誰も悪くない、でも起きたことは実際そうだったし、非常に悲惨。
その実態を見つめることが、まず第一歩につながります。
必要だったのは障害の知見を多くの人に届けるべく、「特性を否定しない環境」であり、「性格や個性を認めるスペース」だったのかもしれません。
今、残念ながら様々な環境の変化で画一的に生産された人々だけで回せる時代ではなくなりました。社会は確実に「一人一色」を認める時代に向かってるかは知りませんが、彼ら彼女らは社会的に成功せずともプライベートである程度の実績が上げられる時代になりました。わずかながら救いは出ました。
しかし糧を得る場所で「市民権」を得られるようになることが当面の目標ではないかと思います。そのために障害は「自分の行いが悪いから起きた」、「まるで犯罪者と似たような扱いを受ける身分」ではなく、もちろんそんな事を言う人はごくごく少数ですが、多数の無意識の無理解が悲惨な実態を生み出している現状に目を向けたいところです。
別に優しくしてくださいなんていう気はありません。せめて人間的に成長できる環境があったっていいじゃないのって話なのです。育成のフォーマットを増やしても良くない?っていうのが核心の部分です。
それは、彼ら彼女の未来を「負のスパイラル」ではなく「光のスパイラル」で組み立てるための大切な一歩になるはずです。